蓼科ワイルドガーデン

ネパール大震災から2ヶ月が過ぎました。

具体的な支援策を練っているところですのでちょっと休憩です。

蓼科の生活が始まりました。

5月の連休に来た時ラベンダーは株の芯を鹿にずいぶん食べられていて、地面は鹿の糞だらけという有り様でどうなることかと心配でした。

でも新しく枝葉が出て蕾もたくさんつけていて安堵しました。

ラベンダー以外のハーブも元気で冬を越しました。

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てんでバラバラに花を咲かせもう不法地帯です。

寫眞のピンクの花はハエトリグサ、白いのはカモミール、黄色はセントジョーンズワート、ビオラがあちこちに。少し分かりにくいかしら?想像してください。

苗を整理するのは諦めてワイルドガーデンとして楽しむことにしました。

これからオレガノやベルガモット、レッドヤロウなど美しい花が咲き始めます。

折々に紹介します。

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ネパール大地震情報15

地震から1ヶ月を過ぎました。

興奮と絶望状態は過ぎ、これからの生活をどう立て直していくのかを考える時になっています。

14号でお知らせした、5~6年前の識字教室を開いたダリコット(Darihiko)を昨日再訪し、要望されていたトタン板を届けました。仮家をなんとかこしらえていた15軒には一家族5000ルピー(約7000円)を渡しました。

もう何年も前にお世話になったのに、私達を忘れず救助に来ていただけるなんて、夢を見ているよう!!と、みんな口々に喜んでくれました。

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写真が鮮明でないですが右から4人目の婦人はホームページのトップページの画像で緑のドレスを着て踊っているお母さんです。

DSCN1677トタン板が届いて大喜び。

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今日カトマンズのラリグランス銀行口座に60万円の送金をしました。前回の送金を合わせると90万円になりました。義援金だけでは足りないのでラリグランス活動費からも捻出しています。

あと識字教室をしたタマン村への救助。ラリグランスで度々宿泊 したパタレバンリゾートなどの救助があります。

今後は、ラリグランスクラブの活動の指針になっている、ネパールの子どもへの教育支援活動の原点にもどり、この震災でで親をなくしたり、学校に通えなくなった子どもへの教育支援プロジェクトをたちあげようかと思っています。そのためには長期に渡る支援活動となりますので資金が必要です。これからも義援金を続けて集めるように努力します。

皆様からよせられた義援金のお陰で現地で迅速な支援が出来たことを感謝いたします。

今後共変わらぬご声援、ご支援をお願い致します。

 

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ネパール大地震情報14

5月22日、モティさんは Darhikot村 と Tamang村を 訪問した。

ここは、2009年から10年に 字を書けない読めないで困っているお母さんたちのために 識字教室を開いた村です。

1.タマン村の様子。

最初の2枚は楽しく勉強していたお母さんたち。教室はマヤさんの家の1室でしてました。

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識字教室の生徒たちの家は、想像どおり倒れたり壊れたりしていました。

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写真は亀裂の入ったかっての教室と マヤさんの仮住まいです。

2.ダリコット村の様子

写真は学校の1室を借りて勉強していたお母さんたち。教室を借りるかわりに電気を引いてあげたたことを思い出します。

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この村も大変なことになっていて、家はいつ倒れるかわからないいから怖いので屋外に住んでいる。テントやトタンでかこっているけれど、しっかりしたトタンがほしいと言っている。

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村役場から無料でトタン板がもらえるという噂があるらしいけれど、ラリグランスクラブから雨期を前にして緊急を要するからトタン板を必要な家に贈ることにしました。テントの10倍の値段ですがテントは一時しのぎなのでそのように決めました。

ネパールの銀行も安定してきたので、来週中にカトマンズのラリグランス口座に60万円程振り込みます。少し資金がたりないのでこれからも義援金を待ちます。

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ネパール大地震情報13

モティさんが奥様のサンタさんも一緒に5月19日20日と DolakhaのPowatという村に行かれた速報です。

ここは2011年( 通信77号参照)にラリグランスクラブで旅行したジリの近くの場所です。

5月12日のM7.4の余震があった場所に近くて、村の90%が壊滅しました。この村にはモティさんの近所の人の田舎で、チャリコットから山手に入り一般道路から山道を10Kmも歩いていかなければならないところなので、村を知っている人しか行くことが出来ません。雨が降るとトラクターで登るそうです。

村の人々は日本人からの思いがけない支援に大変喜び感謝されました。

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お米は大丈夫と聞いていたので、テントを215張り持って行かれましたがあと20枚程足りませんでした。この次一緒に行く人が出れば持って行くそうです。

2011年に旅行した時、チャリコットのタマコシ川の橋の袂のバザールで私たちは美味しい魚の唐揚げを食べたのを懐かしく思い出しますが、そのバザールは消えていて何もなくなっていたとか。

これから雨期に入りますが、このような村が他にもたくさんあると思います。政府はどのような支援をするのでしょうか。

先が見えない状態です。

 

 

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ネパール大地震情報12

12日に、ソムニード(ムラのミライ)にお金を受け取りに行く途中で震度7.3の余震に遭遇したモティさん。

直ちに家に引き返しました。家族は今回も無事。

14日にソムニード(ムラのミライ)に行って15万ルピーを受け取り、直ちに第二震源地ゴダリ方面に近いルースさんの住むラナ村に向かう。カトマンズ市街地から北東30㌔ぐらい。

ラナ村はダリット(被差別部落)の村で、私たちは6年前に婦人たちのために識字教室を開いた場所である。(通信62号参照)

なかでもルースさんはクラブの奨学金を得て差別にめげずに勉強し看護助手の資格を取り自立し去年結婚もし幸せに暮らしていた。(2009年通信57号参照)

今回の地震で村全体の家は崩壊し、テント生活を余儀なくされている。モテイさんが村の35軒のために救援物資を買って届けた。

各家に米30㌔。塩1パック。油1パック。チャウチャウ(フライした干し米)2パックをそれぞれ贈った。

村中の人々から感謝されました。

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ルースさんのお母さんの家には米を2パックと5000ルピーを贈りました。

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写真は避難しているテントとルースさんのお母さんとルースさん。ルースさんは去年結婚して赤ちゃんが生まれました。

一方LSG(ラリグランス セワ グリハ視覚障害児寮)の方はカトマンズ市街地を挟んでナラ村とは南に60㌔ほど離れているが支援に向かった。

LSGの屋上の建物と 家主さんの家が全壊したと聞いていたので訪問した。

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写真はLSG屋上のタンク部分と崩壊した家の前で呆然とする家主のスニルさん。

寄宿生のアスミタのお母さんの住居も潰れて親戚の家に避難しているので5000ルピーを贈りました。

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詳しくは2~3日中にホームページ通信117号で報告します。

 

 

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ネパール大地震情報11

ネパール、カトマンズ北東約76㌔のゴダリ地区で日本時間午後4時頃マグネチュード7.3の大きな余震がありました。

40人ぐらい亡くなりました。

モティさんがソムニードにお金を受け取りに行く途中のことでした。

お金を受け取りルースさんの住むナラ村にいく予定でしたが引き返しました。

ナラ村は今回の震源地に近いところです。

出来れば明日ソムニードに寄り物資を持ってナラ村に行く予定とのこと。

モティさん達は家も家族も大丈夫でした。

漸くひと安心していたところだったのにまだまだ予断が許されません。

 

 

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ネパール大震災情報10

ネパール大震災から2週間たちました。

カトマンズ市街地は落ち着きを取り戻しはじめました。

店も開き学校もそろそろ開校になるそうです。

カトマンズ市街地ではマグニチュード4~5強だったとのことで、ネパール独特の強度の弱いレンガ造りの建物が崩壊したのだった。

世界遺産に登録されているバクタプールの古都は耐震に考慮されていなくて貴重な史跡が崩壊したのだった。

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ラリグランスクラブのネパール支部長のモティ・ギミレさんの家はしっかりした建物だったし彼の近所の住民も大丈夫だったのは震度4~5だったからとも言える。

ラリグランスクラブのLSG(視覚障害児寮)も新しい建物で無事、貧しい奨学生たちの家は、日干しレンガを積み上げた家だったが軽くて揺さぶられ歪んだが震度に耐えられたのかもしれない。しかしそれは大変幸運なことだった。

日干し煉瓦を積んだだけの貧しい家の密集地は総じて潰れてしまい避難所に集まり救援を待つばかりとなっている。

モティさんは友達グループと一緒に、支援が行き届かない人々にテントやシートや食べ物を配りました。

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また、マグニチュード7.8ともなる震源地に近いSindhupalchoukを訪ね、救援活動をしました。

ラリグランスクラブの視察旅行では、4月初めに訪れた(通信116号で紹介)美しい村Bhotechaurの泊まったホテルが全壊したとのこと、2年前に行ったBaltahali Resortも潰れたそうです。

そういえばどちらも危なそうな建物だった。(でも逃げやすかったし命は助かったと思う、、)

政情は不安定で福祉は行き届かない国。この先ネパール全体が非常な困難に陥っていくだろうことは目に見えています。

そこでラリグランスクラブがこれから出来る事は?

先ずは、被害を受けた私たちが関わってきた視覚障害児達、教育支援をしている子どもたち、編み物を通じて自立の道を作っていったお母さんたち、旅行で知り合った人々を 支えるための支援を続けていくことだと思っています。

明日には、集まった義援金のうち 第2回めとして約18万円が手渡せる予定です。

これからもよろしく見守ってくだい。

 

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ネパール大震災情報9

ラリグランスクラブ、カトマンズ支部長のモティ・ギミレさんからの報告です。

死傷者は1万人を超え、救済を求める人が増えています。

ラリグランスクラブの関係者は落ち着きを取りもどしつつあり カトマンズでは学校もあと1,2週間で開校されるようです。

LSG(ラリグランス視覚障害児寮)の家主さんの家は崩壊しましたが、寮の1階に家主さんの家具などを預かっていますが、寮生たちの生活にしわ寄せは今のところなさそうです。

住居を失い食べ物にも困っている人々の住む村(一番被害が大きかったという、カトマンズから95キロ北部のSindhupachoukのKusadevil村)の支援に友人と誘い合わせて行っています。

先日届いた10万ルピー(約12万円)では足りないのでさらに10万ルピーが必要です。。

DSCN0757   Sindhupalchouk (6)

Sindhupalchouk1    Kabhre.

DSCN0791     Sindhupalchouk (5)

写真は支援物資を運ぶトラックと 支援物資の仕分けをする様子。

Kusadevil村の人々の様子です。

インターネットの接続が不安定なので情報を頻繁にお知らせ出来ませんが、救援を続けて参りますので応援をお願いします。

 

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ネパール大地震情報8

DSCN0656多くの方から義援金が送られてきて感謝しています。

情報7でお知らせしましたが、義援金はすぐに役に立たせて頂いています。

義援金の振込先の問い合わせがありますのでお知らせします。

ゆうちょ銀行 振替口座 00960-7-244821 名義ラリグランスクラブです。

ネパール震災緊急義援金と コメントをお書きください。

皆様方のご好意に心より感謝致します。

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ネパール大震災7

地震の余震はまだありますが今のところ落ち着いています。

今日Somneedの原さんに会って10万ルピーを受け取りました。

原さんが市場にテントが売ってなくて困っているとおっしゃったので、SomneedのStaffを売っている所に案内して感謝されました。ラリグランスからも買いました。

ラリグランスの子どもたちの家は大丈夫ですが、家が崩壊しもっと困っている人のためにテントを買いました。

*ネパール人がやっている孤児院が崩壊し、子どもたちがテントがなくてこまっていたので、テントを探し買ってテントハウスを作ってあげて喜ばれました。

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*4月にみんなで行ったBhotechaurの Sskhuの村にも 買ってあげました。

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*2年前に私たちが行ったBalthali Resortの 村の人にもあげました。

今は食べ物より家がなくなった人のためのテントが必要です
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テントの建て方を被災書の方と一緒に考えながら建てています。
DSCN0623明日はコトンジュに行ってラリグランスのこどもたちの家に食べ物を買うお金を渡しに行きます。

また写真をとって報告します。

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