九州旅行

フェリー.JPG
6日間の九州旅行を無事に終え神戸に戻りました。
何故わざわざ無事と言う言葉を添えたかというと、大阪・九州を結ぶ夜間フェリーを使う老夫妻自家用車で巡る旅だったからです。
「白い人」「黄色い人」「沈黙」などの日本でのキリスト教を追求した作家遠藤周作の素晴らしい文学館が、10年ほど前に長崎の外海に出来たと言うことを聞いていたのと、私の本棚でも紹介した<クワトロ・ラガッティ>を読み4人の天正遣欧少年使節の帰国後の足跡、キリシタン殉教の地をこの目で確かめたいという願いがずっとあって、やっと念願が叶いました。
最初は大阪港から鹿児島の志布志港に上陸。そこから桜島を巡って、キリスト教伝来の地鹿児島市に着きました。ここでは、これも大きな目的の一つでしたが、この4月に孫息子が入学したラ・サール中学の文化祭に行きました。
音楽祭も同時にありました。各クラス2曲ずつ歌い競います。中1の1曲目の課題曲は校歌です。なるほど、課題曲に校歌を選ぶと、新入生は自然に学校の目指している心を声を出して謳い学ぶことが出来ます。まだまだ1年生、ボーイソプラノが基調で可愛いこと!
ここで少年から青年に育っていくんだと感無量になりました。
次に目指すは天草の牛深。ここにもフェリーで行きました。
アルメイダ宣教師が布教の拠点とした崎津天主堂、大江天主堂などを、「カトリック信者が神戸から訪ねてきました」ということで聖堂を開けて貰ってお祈りしました。
天草からは富岡港からまたフェリーでビワで有名な長崎の茂木へ上陸。そして一路外海を目指す。
外海.JPG
外海の遠藤周作記念館は思ったとおりの素晴らしい資料館です。そして海の展望の素晴らしいこと!
「人間がこんなに哀しいのに主よ海があまりに碧いのです」の言葉とおりの深い海に心を寄せることができました。
近くにはもう一つ行ってみたいところがありました。ド・ロ神父記念館です。ド・ロ神父はパリミッションの神父で1868年もうすぐ明治時代に入るというころ日本に来られました。まだ布教は許されていない中、貧民救済のために次々と事業をされます。救助院創設、パン工場ソーメン工場などの授産施設、等など。
ここで思い起こすのは、ネパールで障害者救済のために30年余り働かれた大木神父様のこと。
神父様は去年ネパールから日本にお帰りになり現在長崎西坂教会の日本二十六聖人記念館におられると聞いていたのでお訪ねしなくっちゃと、アポも取らずぶっつけ訪問。
大木神父様はお忙しい中いつもの慈愛溢れる笑顔で我々夫婦を迎えてくださいました。
翌日記念館でじっくりキリシタン殉教者たちのことを学び感じ、実りある旅が出来たことを、神様に感謝しました。
それから一路、高速道路を走って別府に着き、そこから又フェリーで1晩眠り大阪に上陸し、神戸に無事に戻りました。
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