長野から・・・→南相馬→仙台→石巻→気仙沼→陸前高田→大船渡→釜石→遠野→花巻→秋田→・・・フェリーで舞鶴→神戸 という1500キロほどの長距離ドライブ。長かったぁ。
車窓から見る罹災地は、瓦礫はほとんど処理をされていて建物の残骸と住居の跡地だけがどこまでも続いています。道路は通行止めが多く、復興工事の作業員さんのほかは人影はありません迂回路を辿り爪あとの残る街道を走りました。
車を降りてじっくり歩いたのは気仙沼だけでした。
気仙沼はは三陸復興国立公園と名付けられ全国から集まったボランティアを受け入れ、体験・教育旅行モデルプランを立ち上げ地域一丸となって逞しく活気さえ窺えました。
阪神淡路震災後、神戸にもあった「復興屋台村」では店をつなみで流された人々が仮店舗を作っていて観光客で賑わっていました。放射能汚染大丈夫かなあとか言いながら新鮮な海鮮丼など美味しく頂きました。
女将さんたちは元気いっぱいを装っていましたが心の奥には何かを持っておられるものを感じました。「神戸で震災に遭ったので、東北の様子を知りたくて来ました。でも比較は出来ないほどのスケールで胸が詰まる思いです。」というと、女将さんの顔に一瞬心を許した表情がよぎりました。「あそこのところにあった店がすっかり流されてしまったからゼロから出発で頑張ってます。」とおっしゃいました。
震災から1000日。テレビで何度もながされる被災地からのニュースを、これまでテレビで漠然と見ていたのとは違って、ズシンと胸に感じ真剣に見入りました。
写真は、龍の形で生き残った1本の松・放置された事務所・流されたJP気仙沼線跡とトンネル クリックで大きくなります。